6000人の川崎市民が作った石けん工場
はじまり
琵琶湖で1977年に起こった合成洗剤による富栄養化の環境汚染問題は、私たちに「合成洗剤を使うことは被害者になるだけでなく、加害者になる」ということに気づかせてくれました。「環境にやさしい石けんを使うことで、環境に負荷を与えない暮らし方」に変えていくための石けん運動の始まりでした。
石けん運動
私たちの身近にある多摩川も、かつては合成洗剤のダメージで川は泡立ち、風に吹かれて泡が飛び交う光景が見られ、環境への負荷が心配されていました。1980年には神奈川県下で合成洗剤追放の署名運動が起こり、直接請求を行いましたが、議会では合成洗剤と石けんの違いすら理解してもらえず否決されてしまいました。(写真はかつての多摩川:NHK日曜特集「多摩川」より)
市民ネットワークの広がり
その結果、川崎では「自分達の仲間を議会に送り出し、自分達の力で世の中を変えていこう」という機運が起こり、代理人運動に発展、市民のネットワークが広がりました。川崎市民を中心に、流せば環境に負荷を与える厄介者の使用済みの食用油を、有効利用して石けんにリサイクルし、石けんを使う暮らしを広めることで、未来の子どもたちにより良い環境を残したいと立ち上がったのです。
石けん工場設立
工場設立に向け、川崎市の土地を借りることが出来ましたが「建物・機械設備は自分達の力で」と“きなりの会”を結成。川崎市民を中心に6,000人から一口1,000円の出資を募り、1,100万円集めました。長い年月をかけ1989年、ようやく市民事業“株式会社川崎市民石けんプラント”がスタートしました。(写真は設立当時の旧工場)
真の市民事業へ
設立当時は、市民事業でありながら資金の借り入れの為の必要性と、社会的認知度を高めるために法人格(株式会社)を取得しましたが、2005年に「真の市民事業として市民との関わりをより深め、行政との連携を模索するため」に“特定非営利活動法人 川崎市民石けんプラント”として生まれ変わりました。